東大受験してみる

 まず初めに、私の家族、友人、そして私が今、ずっと待っている君がこのブログを読まないことを願う。

 

 ただの失恋である。よくある話だ。遠距離恋愛をし、恋人から「好きかわからない」と言わた。振られに行くためだけに新幹線に乗り、振られ、また新幹線に乗る。往復2万円の痛みなど感じられないほどに心が空っぽであった。

 

 ただの失恋である。よくある話だ。7年前に出会った恋人に別れを告げられた。この7年間を思い返すには、私の傷は新しすぎる。7年間の重みは人によって違うが、高々20年しか生きていないガキには少々重たい。

 

 別れた後の「大好きだった」が、この失恋をただの失恋ではないものにしてしまった。

 

 帰りの新幹線に乗る前だった。彼女からのメッセージ。この人と一緒に居れて本当に幸せだったと思えるような言葉が並べられていた。納得がいかない。なんだ、「大好きだった」って。血液が沸騰した。怒りか悲しみかわからなかった。気がついたら電話をかけていた。終始取り乱し、何を彼女に伝えたかよく覚えていないが、「待っている。」という旨を伝えたのは確かである。

  

 待っているって、彼女を?

 彼女が振り返る確率などゼロに等しいのに?

 

 大好きだったと言われて吹っ切れたのだろう。私がまだ彼女を好きでいることを分かっていて、彼女はその言葉を使ったのだから、私の心をグシャグシャにしてもいいとでも思ったのだろうか。その言葉で私が救われるとでも思ったのだろうか。もうどうでもいい。この先の人生がどうなってもいいと思ってしまった。

 

 失恋し、前を向くことで人は強く、大人になっていく。そんなことに、私はこの恋を使いたくなかった。ずっと弱いままでいい、ずっと子供のままでいい。そう思えたから、私は彼女を待つことにした。

 

 待つというのはどういうことか、自分でもはっきりしていない。彼女に伝えたのは「君がこの先、俺のことを好きにならなくてもいい、他の誰かと付き合ってもいい。それでもいいから待っている。」という摩訶不思議な言葉であった。復縁できるなら私は何でもするし、君は何でもしていいから私の元に帰って来て欲しい、と通訳しておこう。

 

 ただ待つと言っても、遠距離恋愛はもううんざりであるから、近距離恋愛できるような大学を受験することにした。受かったところで彼女と復縁できるわけではないが。ただ再受験をすると言っても何も面白くないから、東京大学を目指すことにした。

 

 よって、この先のブログは

  ・失恋した男の悲痛な叫び

  ・東大受験勉強の記録

 でお送りする。